Column
Our Roots

 2 May, 2018    Sings Soul Ballads / 忌野清志郎
 
 5月2日、今年も忌野清志郎の命日を迎えた。
 数年前のGW、彼の命日に関連してNHK-BSで「忌野清志郎、ゴッホを見に行く」が再放送されていたのを思い出した。「僕の好きな先生」にあるように、清志郎は高校時代から美術室に出入りし、一時は美術の道に進むことも考えていた。RCサクセッションがブレークする前の下積み時代、清志郎は生涯1枚しか絵が売れなかったゴッホを心の支えとしていたという。そんなゴッホへの熱い思いから、岩手県立美術館の企画展「ゴッホ、ミレーとバルビゾンの画家たち」でゴッホに対面するドキュメンタリーが企画された。だがこの時は期待が大きすぎたのか清志郎は対面したゴッホの原画(羊の毛を刈る人)に納得できず、「ミレーの方がいいね」などと発言、番組制作者の意図したストーリーをぶち壊してしまう。結局最後は損保ジャパン日本興亜美術館に行き、彼の心にあるゴッホを見つける。彼は「向日葵(ひまわり)」の前から動こうとせず、1時間ゴッホの作品を見続けた。「向日葵を見れてよかった。駄作も多いが飛び抜けた作品があり(ゴッホは)ジミ・ヘンドリックスだ」と彼は語った。
 
 書き上げたばかりの
 自画像を僕に
 ヴィンセント・ヴァン・ゴッホが見せる
 絵の具の臭いに
 ぼくはただ泣いていたんだ
  〜RCサクセション「君を呼んだのに」 1992年
 
 MGもゴッホの原画の前から離れられなくなった経験がある。1度目は5年前パリのオルセー美術館で「ローヌ河の星月夜」を観た時、2度目はつい先月のことだ。
 国立新美術館で開催されている「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」に行った。ルノワールの「可愛いイレーヌ」、セザンヌの「赤いチョッキの少年」、4メートルを超えるモネ晩年の大作「睡蓮の池、緑の反映」などスイスの実業家エミール・ゲオルク・ビュールレの印象派名画のコレクションはどれも素晴らしく見応えがあった。だがゴッホ の「日没を背に種まく人」を目にした時、その不思議な構図と幻想的な色彩に圧倒された。重厚な筆触が浮き出る原画から放たれる神秘的なエネルギーに吸い寄せられ、何度もその絵画の前に立ちすくんだ。
 ゴッホはミレーの作品から着想を得て「種まく人」の主題に繰り返し取り組んだ。「日没を背に種まく人」は、1888年10月下旬、南仏アルルの「黄色い家」でのゴーギャンとの共同生活が崩壊する前の僅かな蜜月期に描かれた。 浮世絵の影響と言われる画面を横切る木、緑の空と紫の大地、神の存在を感じさせる大きな太陽、力強いシルエットの農夫、全てのパーツが微妙な色彩で調和し、そこに表現された風景は芸術作品を超越し神からの啓示が放たれているように感じた。
 清志郎が観た「向日葵」は1889年1月の作品だ。アルルの「黄色い家」にゴーギャンを迎える準備の高揚の中でゴッホは共同のアトリエを飾るためにいくつかの「向日葵」を描いているが、ゴーギャンがゴッホの耳切事件でアルルを去った後、その絵をベースに再度「向日葵」描いたものだ。失望と孤独に襲われる中、彼はどんな思いでこの「向日葵」を描いたのだろうか?(翌月には幻覚の発作で入院し、やがて住民から排斥されゴッホもアルルを去ることになる)
   
 「日没を背に種まく人」に圧倒される前に、ゴッホの生涯に触れる機会があった。2016年に制作された映画「Loving Vincent〜ゴッホ最後の手紙」を今年1月に観た。狂気の天才画家の漠然としたイメージしかなかったゴッホの生涯を、125名の画家がゴッホタッチの油絵で表現したアニメーションである。 彼の数少ない友人であるアルルの郵便配達人ジョゼフ・ルーランから最後の手紙を届けるように頼まれた息子アルマンがゴッホの生涯と謎の死を辿っていく。ゴッホの数々の名画が風景に溶け込む美しい映画である。精神を病みながら芸術と格闘したゴッホの壮絶な生涯のひとつの解釈として、彼の作品と共に心に深く残る映画だった。
 
  * * * *
 
 "Sings Soul Ballads"
清志郎が亡くなって2年半後にリリースされたバラード集だ。
 1年7カ月の闘病生活を経て2008年武道館での完全復活祭後に、本人の構想によるアルバムタイトルと選曲リスト書き記されていたものがベースとなっている。もしかすると何らかの予感のようなものがあったのかもしれない。ジャケットのアートワークには彼の油絵が採用された。力強い筆触と感覚的な色使いが印象的なそのジャケットは、音楽と絵画に関する愛情が滲み出ている。穏やかで個性的なラブソングが集められたそのアルバムジャケットを手にしながら、向日葵の前にたたずむ忌野清志郎に思いをはせた2018年の命日だった。
 
 『僕は絵の中で、音楽のように何か慰めになることを語りたい。僕は、あの何かしら永遠なるものをもって、男や女を描きたい。かつては光輪がその象徴であった、そして、今、僕達が、光の輝きそのものや色彩の震えによって表わそうとしている、あの永遠なるものをもって。』
(ゴッホからテオへの書簡531 1888年9月)
 
(MG)


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