Column
Our Roots

 13 Feburary, 2017     Hard Rain / Bob Dylan
 
 2016年は記憶に残るとんでもない年だったが、明るい話題もいくつかあった。中でもポピュラー音楽界で一番のビッグニュースは Bob Dylanのノーベル文学賞受賞だろう。長年のファンとして受賞自体とても喜ばしいことだ。
 
 15才の頃、初めて手に入れたDylanのアルバム "Desire" は、片桐ユズル訳の歌詞カード片手に聴いていた。Emmylou HarrisとのデュエットやScarlet Riveraのバイオリンの神秘的な旋律を背景に展開されるストーリーは、まるで短編小説のように感じられ惹きつけられた。歌詞は Jacques Levy との共作だが、ブルックリンのマフィア Joseph "Joey" Gallo の生涯を歌った"Joey"、アウトローのメキシコへの逃避行の物語 "Romance in Durango"、沈み行く島での人間模様を描いた "Black Diamond Bay"の情景描写は映画を見ているようにスリリングだった。まだ Rock Music のダイナミクズムに目覚める前のティーンエイジャー中期、Dylanに向き合う姿勢はもしかするとある意味て"文学"としてのアプローチに近かったのかも知れない。
 Bob Dylan初来日前、1977年に東京12チャンネルで『ボブ・ディラン・ライブ・コンサート・スペシャル 激しい雨』が放送された。76年から始まる第2期 Rolling Thunder Revue のコロラド州フォート・コリンズ公演をTV向けに収録したものだが、それはそれまでのDylanに対する"文学"的アプローチを一変させた衝撃的な映像だった。実際に雨降る中オープニングで演奏された "A Hard Rain's A-Gonna Fall"は、耳に馴染んでいた弾き語りではなく、ワイルドで粘りのあるバンドサウンドだった。力強く言葉を引き伸ばす Dylanに合わせて、大編成のバンドもビートを思い切り溜めて吐き出していく。"One too many morning" では更に言葉の間に合わせて演奏が感情的な爆発を呼び起こす。"Desire"や"Blood on the tracks" の静かなアコースティックなナンバーはタイトなバンドアレンジで直感的に演奏され、Dylanはバンドと一体となってステージを動き回る。スライドバーをネック上に滑らせ躍動しながら荒々しく観客に対し言葉を突きつける "Shelter from the storm" のDylan の姿が脳裏に焼きついた。「ディラインが街にやってきた ローリングサンダー航海日誌(Sam Shepard 著)」のあとがきの中で、この本を翻訳をした諏訪優はこう記している。
「詩と歌をへだてていた垣根を取っぱらったのも、詩を図書館のカビくさい活字の森から街頭へ引きずり出したのも彼らであった。」
※注1
 
 
 2016年12月10日開催されたストックホルムでのノーベル賞授賞式は Dylan は欠席、代わりにPatti Smith が大量の感情に圧倒されながら "A Hard Rain's A-Gonna Fall"を歌った。きっとDylanにとって「文学 " literature" 」として賞賛されるのは相当な戸惑いがあったに違いない。 受賞決定からの沈黙や授賞式への欠席理由 「”Pre-existing commitments” (先約)のため」も彼らしく面白かった。
 ノーベル賞授賞式で米国大使に代読されたDylanのスピーチを読むと、文学と自分の活動に対する考え方や拘り、Popular Arts の本質が表現されている。とても素敵な内容なので、少し長くなるが翻訳とともに一部を紹介したい。
 
 
 
I was out on the road when I received this surprising news, and it took me more than a few minutes to properly process it. I began to think about William Shakespeare, the great literary figure.
 
この驚くべき知らせを受けた時、私はツアー中で、正確に理解するのに数分以上かかりました。私は文豪ウィリアム・シェークスピアのことが頭に浮かびました。
 
 
I would reckon he thought of himself as a dramatist. The thought that he was writing literature couldn't have entered his head. His words were written for the stage. Meant to be spoken not read.
 
彼は自分を劇作家だと考えていたと思います。文学作品を書いているという考えはなかったでしょう。彼の文章は舞台のために書かれました。読まれることではなく、話されることを意図していました。
 
 
When he was writing Hamlet, I'm sure he was thinking about a lot of different things: "Who're the right actors for these roles?" "How should this be staged?" "Do I really want to set this in Denmark?" His creative vision and ambitions were no doubt at the forefront of his mind, but there were also more mundane matters to consider and deal with. "Is the financing in place?" "Are there enough good seats for my patrons?" "Where am I going to get a human skull?" I would bet that the farthest thing from Shakespeare's mind was the question "Is this literature?"
 
「ハムレット」を書いている時、彼はいろいろなことを考えていたと思います。「ふさわしい役者は誰だろう」「どのように演出すべきか」「本当にデンマークという設定でいいのだろうか」。創造的な構想や大志が彼の思考の中心にあったことに疑いはありません。しかしもっと日常的なことも考え、対処しなければなりませんでした。「資金繰りは大丈夫か」「後援者が座る良い席はあるか」「(小道具の)頭蓋骨をどこで手に入れようか」。シェークスピアの意識から最もかけ離れていたのは「これは『文学』だろうか」という問いだったと確信します。
 
 
When I started writing songs as a teenager, and even as I started to achieve some renown for my abilities, my aspirations for these songs only went so far. I thought they could be heard in coffee houses or bars, maybe later in places like Carnegie Hall, the London Palladium. If I was really dreaming big, maybe I could imagine getting to make a record and then hearing my songs on the radio. That was really the big prize in my mind. Making records and hearing your songs on the radio meant that you were reaching a big audience and that you might get to keep doing what you had set out to do.
 
歌を作り始めた10代の頃、そして私の能力が認められるようになってからも、私の願望は大したものではありませんでした。カフェやバーで、もしかしたら将来、カーネギーホールやロンドン・パラディウム劇場のような場所で聴いてもらえるようになるかもしれないと考えていました。少し大きな夢を描けば、レコードを発表し、ラジオで自分の歌が聴けるようになるのではと想像したかもしれません。それは私の中で本当に大きな目標でした。レコードを作り、ラジオで歌が流れるというのは、多くの人に聴いてもらえることであり、自分がやりたかったことを今後も続けられるかもしれないということでした。
 
 
Well, I've been doing what I set out to do for a long time, now. I've made dozens of records and played thousands of concerts all around the world. But it's my songs that are at the vital center of almost everything I do. They seemed to have found a place in the lives of many people throughout many different cultures and I'm grateful for that.
 
私は自分がやりたかったことを長い間続けてきました。多くのレコードを作り、世界中で何千回ものコンサートを開きました。しかし私のしてきたほとんど全てのことの中核にあるのは歌です。私の歌はさまざまな文化の、大勢の人たちの中に居場所を見つけたようで、感謝しています。
 
 
But there's one thing I must say. As a performer I've played for 50,000 people and I've played for 50 people and I can tell you that it is harder to play for 50 people. 50,000 people have a singular persona, not so with 50. Each person has an individual, separate identity, a world unto themselves. They can perceive things more clearly. Your honesty and how it relates to the depth of your talent is tried.
 
一つだけ言わせてください。 これまで演奏家として5万人を前に演奏したこともあれば、50人のために演奏したこともあります。しかし50人に演奏する方がより難しい。5万人は「一つの人格」に見えますが、50人はそうではありません。一人一人が個別のアイデンティティー、いわば自分だけの世界を持っています。物事をより明瞭に理解することができるのです。(演奏家は)誠実さや、それが才能の深さにいかに関係しているかが試されます。
 
 
The fact that the Nobel committee is so small is not lost on me. But, like Shakespeare, I too am often occupied with the pursuit of my creative endeavors and dealing with all aspects of life's mundane matters. "Who are the best musicians for these songs?" "Am I recording in the right studio?" "Is this song in the right key?" Some things never change, even in 400 years.
 
ノーベル賞委員会がとても少人数だという事実は、私にとって大切なことです。しかしシェークスピアのように私も、創造的な努力とともにあらゆる日常的な物事に追われることばかりです。「これらの歌にうってつけのミュージシャンは」「このスタジオはレコーディングに適しているか」「この歌のキーはこれで正しいか」。 400年もの間、何も変わらないことがあるわけです。
 
 
Not once have I ever had the time to ask myself, "Are my songs literature?" So, I do thank the Swedish Academy, both for taking the time to consider that very question, and, ultimately, for providing such a wonderful answer.
 
これまで「自分の歌は『文学』なのだろうか」と自問した時は一度もありませんでした。 そのような問い掛けを考えることに時間をかけ、最終的に素晴らしい答えを出していただいたスウェーデン・アカデミーに感謝します。
※注2
 
 
****
 
 Bob Dylanのライブ巡業は、いつしかNever Ending Tour と呼ばれるようになった。多いときは年間100か所以上のライブを行っている。それは彼がスピーチで言及している「歌の居場所」を見つけるための永遠の旅路なのかもしれない。
 聴衆に対して言葉を叩きつけるライブでのDylanが大好きだ。公式作品とは別に”The Bootleg Series”の発掘ライブシリーズは、改めてその時代毎の新鮮な感動がある。昨年はブーイングと格闘しながらフォークファンと決別していった66年のライブCD36枚組のBOX Set "The 1966 Live Recording" がリリースされた。全てのライブ記録をゆっくり聴けるのは今の職業生活からリタイアした後かもしれない。
 
 1974年The Bandとのライブアルバム "Before the Flood"の中で、Dylanはアコースティックギター弾き語りで " It's Alright, Ma (I'm Only Bleeding)" を激しく、力強く歌っている。ウォーターゲート事件でのニクソン大統領辞任と重ねて聴衆が歌詞に呼応して歓声を上げる場面が聴ける。歌が時代の中で息づく瞬間だ。
 
Goodness hides behind its gates
 
(良いことは自分の門のうしろにかくされている)
 
But even the President of the United States
Sometimes must have to stand naked.
 
(だがアメリカ合衆国の大統領でさえ ときにはどうしても はだかで立たなくてはならない)
※注3
 
 暗雲立ち込める2017年、崇高な理念を追い求める「あの時代のグレートなアメリカ」を再び取り戻してほしいと切に願っている。
(MG)
 
 注1 ローリング・サンダー航海日誌 ディランが街にやってきた Sam Shepard 著 諏訪優・菅野彰子翻訳 河出書房新社
 ローリング・サンダーレヴュー(Rolling Thunder Revue)は、建国200年となる1975年から1976年にかけて、旅芸人一座のごとく大型バスで北米を回り60公演を行ったアメリカ再発見の旅。  引用のあとがきにある"彼ら"は、Bob Dylanとツアーに同行したビート詩人、Allen Ginsberg 2人を指している。
 注2 "Bob Dylan - Banquet Speech" Nobelprize.org 訳:日本経済新聞掲載訳
 注3 "Bob Dylan 1965- It's Alright, Ma (I'm Only Bleeding) 片桐ユズル訳
 


| Prev | Index | Next |



| Home | Profile | Collection | Column | リンク集 |