Column
Our Roots


 24 December,2012    Happy Xmas (War is over) / John Lennon
 
 受験を目前に控えた高校生最後のクリスマスイブ。机に向かっている息子を見て、当時の自分のことを思い出した。
 
 1980年12月9日、夕方のニュースでJohn Lennonが射殺されたことを耳にした。(現地では12月8日)その時は、すぐにはその意味が掴めなかった。「狙撃され怪我した」といった内容に頭の中で勝手に変換をしてしまい、「亡くなった」事を理解できたのは少し時間がたってからだった。
 その4日前の12月5日にアルバム"Double Fantasy" が日本で発売になったばかりだった。それは、約5年間の穏やかな生活から滲み出た心和む良質な音楽で、今後80年代のJohnの活動には期待が高まっていた。そんな中で突然Johnがこの世からいなくなってしまったショックは大きく、その喪失感は日増しに膨らんでいった。
 
 12月24日、日比谷野外音楽堂で追悼集会が開かれた。小雨降る中、MGは親や友人には言わずにひとりで集会に参加したのだった。大学受験の最後の追い込みの時期で、恐らく予備校に行くふりをしたかもしれない。その時は、とても勉強する気にならない心境だったのだろう。 集会では、檀上に"Walls and Bridges" のJohnの写真が飾られ、大勢の人が集まっていた。(6千人と報道されている)湯川れい子や内田裕也がスピーチしたと思う。フィルムが上映され、何曲かJohnの曲が流れた。"Give peace a chance" の時は、自然に会場全体が歌声に包まれた。 その後、主催者の呼びかけで銀座までのキャンドル行進が案内され、配られた蝋燭を手に持ち、参加者は傘を差しながら静かに行進した。その時、主催者が用意していたのか、それとも誰かが持参したラジカセからか、どこからともなく"Happy Xmas" や"#9Dream" が聞こえてきた。その優しいメロディと霧でかすんだクリスマスの銀座の街の灯りが混ざり合った幻想的な光景を目にした気がする。それは、遠い過去の思い出が美しく増幅され、記憶の中だけにある情景なのかもしれない。
 
 1969年、JohnとYokoは世界11か国に反ベトナム戦争のメッセージを掲げた。"War is over if you want it." その2年後に"Happy Xmas (War is over) " は発表された。 JohnとYokoは反戦メッセージを美しいクリスマスソングにのせて歌うことにより、多くの人の耳に届けて、歌い継がれていく事を狙った。その作戦は見事に成功し、"Happy Xmas (War is over)"は、Johnが凶弾に倒れてから今でも毎年世界中のクリスマスの夜を飾っている。
 
 しかし、30年以上たっても紛争や対立はいつまでも続いている。 Yokoは2003年にこの曲の公式PVを創った。そのきっかけはブッシュ政権が始めたイラク戦争だと言われている。それは戦争の犠牲者(その多くが子供)の悲惨な光景の現実の画像を繋ぎあわせたものであり、直視するのがとても辛い作品となっている。でも、それは「愛する人と幸せにXmasを祝う世界」の反対側に存在する現実なのだ。Johnの死後も何も変わらない世界へのYokoの強い怒りなのかもしれない。
 
 もうすぐ2013年。年末から不穏な考えが囁かれ不安が世界を覆っている。 我々は戦争のない世界に向けて、Johnのメッセージを改めて噛みしめなければならないと思う。子供たちの未来のためにも・・・
(MG)
 
 
 
 


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