Column
Our Roots


 19 June,2012    Tenth Avenue Freeze-Out / Bruce Sprngsteen & The E Street Band

 6月19日はBruce Sprngsteen & E Street Band のSAXプレイヤー、Clarence Clemons通称 "Big Man" の1周忌。昨年出演が予定されていたSUMMER SONIC 2011の直前、6月12日に彼は脳卒中で倒れ、一時は回復が報道されていたが、2011年6月19日永遠の眠りについた。69歳の生涯だった。
彼のSAXには繊細な表現があるわけではない。だが、Bruce Sprngsteenの疾走感ある曲を彩るパワフルなSAXとして、無くてはならない存在だった。また、Bruce と2人で繰り広げる絶妙のパフォーマンスの応酬は、彼らのステージでいつも見せ場となっていた。
彼ら2人は1971年 New JerseyのAsbury Parkにあるバーで出会い、生涯のパートナーとなった。Clarenceはインタビューで、こう語っている。
 
We knew we were the missing links in each other's lives.
 
昨年の葬儀では、こんなBruceの弔辞があった。
 
Big Man, thank you for your kindness, your strength, your dedication, your work, your story.
Thanks for the miracle
and for letting a little white boy slip through the side door of the Temple of Soul.
 
* * * *
 
MGは16歳の時、既に1975年にリリースされていた歴史的名盤、 "Born to run"に出会って、Bruceの魅力の虜になった。1曲目の"Thunder Road" のイントロ、Bruce のハーモニカとRoy Bittanのピアノの響きを聴くと、今でも胸が熱くなる。
Bruce が弔辞で言っていた"Temple of soul" という言葉は、このアルバム2曲目に収録されている "Tenth Avenue Freeze-Out” を思い起こさせる。曲の中では、Bruce とClarence の出会った当時の事が歌われている。
 
When the change was made uptown
And the Big Man joined the band
From the coastline to the city
All the little pretties raise their hands
I'm gonna sit back right easy and laugh
When scooter and the big man bust this city in half
With a tenth avenue freeze-out,
 
葬儀のBruceの弔辞では、この"Tenth Avenue Freeze-Out”の歌詞について、こんなコメントがあった。
 
Together, we told an older, richer story about the possibilities of friendship that transcended those I'd written in my songs and in my music.
Clarence carried it in his heart.
It was a story where the Scooter and the Big Man not only busted the city in half, but we kicked ass and remade the city, shaping it into the kind of place where our friendship would not be such an anomaly.
 
* * * *
 
高校時代の頃、MGはBruce Sprngsteen に夢中で、リアルタイムでその存在を実感していた。ネットもない時代、音楽雑誌を見たりFMを聴きながら彼に思いを募らせていた。
"Darkness On The Edge Of Town"(78年)や"The River"(80年)は、ポスター付き国内版を事前予約して、発売を心待ちにしていたことを覚えている。
当時のBruce は、痩せこけた街の車好きのにいちゃんの雰囲気で、MGは免許取得直後、Born to run を聴きながらその気になって親父の車でぶっ飛ばしたりしていた。ちょっと危ない事もあったかもしれない。
 
大学時代、レンタルレコード屋でアルバイトをしていたのだが、そこではBruceには特別な思い出がある。
84年に発売されたBorn in the USA はバイト仲間みんなのお気に入りで、店内で好き勝手に何度も何度もレコードをかけていた。そして閉店後には非番の仲間も集まってきて、津田沼のソングバードというパブに入り浸ったていた。
ソングバードは、外壁に描かれた"THE BAND "のメンバーのイラストが電車の窓から見える、津田沼駅はずれの線路沿いにある小さなパブだった。いつもアメリカンロックが大音量で流れていて、バイト仲間のお気に入りだった。この店のマスターと奥さんがBruce の大ファンで、85年の代々木体育館のライブに大興奮して、彼のアルバムをいつまでもかけ続けていた思い出がある。
 
Bruceが来日した85年4月、MGは大学を卒業したばかりで、新入社員研修で厚木に缶詰めとなっていた。偶然ステージに近い前列のチケットを手に入れる事ができたのだが、研修所を抜け出すことができず、結局そのチケットはOGに託す事となった。当時、彼はスマッシュヒット連発の絶好調の時期で、エネルギーに溢れた素晴らしいステージと評判だった。
 
その時のBruceの絶好調は長くは続かなかった。
その後、Born in the USA の大ヒットがまねいた虚像に彼は苦しみ、少しずつ低迷していく。やがて88年に、E Street Band は解散となる。
MG自身は研修後の配属で東京を離れ、Bruce の世界観と仕事に追われる日常とに少しずつ違和感を持ち始め、彼の新譜も徐々に響かなくなり、やがて彼への思いも遠い過去のものとなっていった。
そして、かつてのバイト仲間とも連絡が途絶え、津田沼のソングバード はいつの間にか閉店になっていた。
 
* * * *
 
時は過ぎ、その後MGは音楽仲間と久しぶりに再開する。みんな、自分にあったそれぞれのやり方で、生き生きと音楽に向き合っていた。いつの間にかMGもその輪に加わる事になり、ギターも少しずつ触りだし、音楽に対するかつての気持ちを思い出してきた。同時に仲間の大切さも・・・・
そして、忘れていた「今の時代を歌うロック」を聴く感覚も取り戻した。
 
そんな状態で、99年再結成以後のBruce Sprngsteen and The E Street Band の歌に耳をかたむけると、彼は今でもその瞬間のアメリカの苦悩に向き合い、人々の希望を歌っていることに気がついた。911以後の闇と深い悲しみの中で、彼は必死に希望を歌い続けている。そして"Wrecking Ball "には、2012年の現実に対する彼のメッセージがつまっている。
 
結局、85年以後Bruce Sprngsteen and The E Street Band の来日は実現せず、今ではオリジナルメンバー2人が帰らぬ人となってしまった。もう、ステージでのBossとBig Manの掛け合いも見る事はできない。
85年、もし会社の研修ではなくBruce Sprngsteen and The E Street Band のライブを選んでいたら、MGの"Temple of Soul "の空白期間はどうなっていたのだろう?とふと思ったりする。
 
ロックバンド内の人間関係は時間とともに破綻することがよくあるが、彼らのステージにはバンド仲間の素晴らしさが溢れている。彼らの絆は解散中も継続し、今でもかつての仲間全員がファミリーの一員だ。旅立った2人(Danny Federici、Clarence Clemons)も含めて。
「君たちがここにいて、俺たちがここにいるのなら、彼らもまたここにいる」
 
今も続いている欧州ツアーでのおきまりの光景。メンバー紹介でステージ上の全員を紹介した後、Bruce は叫ぶ・・
「誰かが欠けているんじゃないか?」
(MG)
 


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